好意の枯れ果てた社会
タイトルはただの引用。
胃もたれ気味があんまり治らない。
明日の朝こそリンゴ食べよう。
面白くない話。
今日の仕事はなんだか疲れた。
あまり上手く回せなかったせいだろうか。
後輩君はほぼ確定っぽいけど、古株ももしかしたら延長になるかも。気が重い。
作業スピードは早いけど、この二人を組み込んだら惰性のままになるから、実験できないし。後輩君の方には夜勤に移る意思表示をしっかりしろって誘導してるのだけど、ここままだと流されるだろうなぁ。
古株は存在感を発し過ぎて周りを怠けさせる(古株の中では動かしてる)し、後輩は気を抜くから下に悪影響だし、どっちにしろ下が育ってこない。
どうしたものか。
どうしようもない。
っていう殺伐とした気持ちは、夏目漱石さんの文章で慰撫された。
さらさらと綺麗だ。
タイトルはそこからの引用。
ちょうど読んでたところに、義務と好意の違いっていう下りがあって、あぁそうそうって思った。義務にはその人の心が入らない。結果としては同じかもしれないけど、受けての気持ちが違う。
昨日の日記に書いてた心持ちっていうのは、仕事っていう義務を越えた好意の話だからってこと。義務感で好意は表せられない。
で、自分が好意を感じる時っていつだろうなって思うと、自分のことを見てくれてて、タイミング良く先取りしてくれたり、覚えてくれてたりっていうことだなぁって思うと、今読んでるカントさんの部分の時間についてと錯綜するなって。
カントさんが捉える時間って、客観的に物質が劣化とか磨耗していくっていう意味の自然界で流れていく変化じゃなくて、その人が物事を自分の中で意識できる前提にあるものだから、なかなか捉えにくいのだけど、簡単に言えば体内時計で良いかなって。
体内時計が止まってる人は、物事の変化に対応できない。
意識に登らないから。
後輩君の時計を進めてあげるつもりはない。
あと臨床心理学の本も読んでる。
人は変化できる要素を内在してて、それを促進するのは受容と共感となんだかみたいなのがあるっていう流派があるらしい。
転移とか逆転移の話も面白い。
今日(も)結構滅裂だな。
さておき。
マインスイーパっていうゲームは割りと認知度があるはず。
この話書いたっけ?。
普通は旗立ててやるものだけど、旗を立てずにやってるってとこまでは書いてたような。
まぁ良いや。
今日新たに考えたのが、数学的に考えて、どれくらいの偏りがあるんだろうってこと。
例えば、表記で出てくるのは1が圧倒的に多いけど、それは何でかって言ったら、総マスに比較して圧倒的に地雷マスが少ないからだけど、地雷マスは多すぎても少なすぎてもゲームにはならない。
この辺は統計学の範疇なのか、三色問題みたいなものからの応用なのかは分からないけど、絶妙なバランスがどこから出てきてるはず。
地雷の配置が完全にランダムかって言ったら、そうじゃなくて規則があるんだろうなっていうのも今日気づいた。正方形になる9マスに地雷が置かれることはない。真ん中の一点に対するヒントがないから。ランダムの関係でそこまで偏る確率ほぼないからっていう可能性もあるけども。
確率と言えば、どんな配置になっても、最低限何マス押せば正解に至れるかっていう証明問題も証明できるんじゃないかって思ってたり。
ここは、近々考えてみようとは思ってる。
数学の知識あんまりないから手探りだけど。
任意の1マスの周りに地雷がある確率はどれくらいかって所から。
0の部分の所がバーって広がるんだっていうのも、この思考の流れでやっとわかった。
こういう発想が一週間前の自分にできたかって言われたら、多分無理だろうなって答える。
なんでそうなってるのかって、言葉で説明しようとしても無理だろうなぁって。
考え中。
最後。
気付く論から、そういえば今の俺って誰に惚れても良いんだなって。
そういう意味でも自由なんだって気付いて、ビクついてるけど、恋愛関係の好意と、普通の好意って概念が全然違うような。
寝不足になってるから文章が拙くてごめんけど、しょうがない。
おやすみ。